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小嶋 基次先生の「おもしろ健康学」NO31 2017/12/01


子供の心と体ー3

長じて思春期を迎えるようになっても現実と空想の世界が
いつまでも分離しないようになると問題ですね。

若い女性の会話で語尾に妙なアクセントやトーンを入れるのが
見られます。学生言葉とか女性の特徴といって許されていますが、
他人にとって決して聞きやすいものではありませんね。

同じことは男性にも妙に語尾を引き伸ばす演説調が見られます。
そして表現と言えば大袈裟なアクションを付けた
「ドキッ」「ギク」「ギャア」「ギャハハ」というアニメ的擬音
がつい口に出ますね。

会話中ならともかく反省文や小論文の中に擬音が出てくるように
なっては手遅れのような感がします。

次に多いのが「ダッテ」「ソンデモ」「ダカラ」の順送り繰り返し
用語でしょう。女子高校生や若い女性を相手にした会話に
こんなのがあります。

「どうして遅刻したの」“ダッテェ電車が遅かったもん”
「だったら一台前の電車にしたら」“ソンデモ早く起きれんもの”
「目覚まし時計を置いたら… 」“ダカラ時計が無いよ”
「そうしたら誰かに起こしてもらったら… 」“ダッテェ皆が寝ているんだもの”

「だから… 」“ソンデモ”「だから… 」といくら説得、追求しても
堂々 めぐりを繰り返すにすぎないのです。


大人の世界でもポキャプラリーに乏しい人が多くて
「メシ」「フロ」「ネル」で一日が終わる家庭。

それでも不便を感じない人間関係ではなにか寂しい気がしますね。
親の言葉が少ないとどうしても子供の言葉は伸びません。

女子高校でのケースです。
入学式、始業式や集団の中で私語をささやいたり落ちつきのない人が
いますので、この人の十年前をさかのぼって調べてみました。

ちょうど保育園か幼稚園、あるいはその少し前の年齢ですね。そのときに
両親、特にお母さんとの会話が不足したままに思春期を迎えていました。

たとえば幼児期に親子で歩いているとき路上に綺麗な花が咲いているとします。
普通の親子であればそこで賑やかな会話がとりかわされるはずです。

「綺麗だね」「本当に綺麗な花が咲いてるね」から始まって次から次へと
花の由来、種類、薬用か食用か… … 。親としての威厳も保てる瞬間なのです。

親としての力を示す絶好の機会なのです。その機会を逃がしてはせっかく
子供の方から話しかけサインを出しているのに惜しいことです。

「綺麗な花だね」「忙しいから花を見るひまはないよー・」
こんな会話の経験はありませんか。

「犬が石にぶつかって痛がっている」と子供がサインを出しているのに
「犬の勝手でしょ」の一言で終わり。
寂しい会話では子供の情緒も育たないでしょう。

    続く

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